2012年7月19日木曜日

10万人集会 2


ご存知 大江健三郎さん 呼びかけ人の一人ですね。体制派は嫌う人ですがレベラル派の筆頭 私とよく考えがあいますが向こうはどうだか分かりません。当たり前ですけどね。会ったこともありませんから。 いつものことながら何を話しているのかまるで分かりません。ちょうど大江さんの時になったらヘリがすぐ近くを音を立てて何回も旋回するものだから余計に声が聞こえなくなって みんな「あれはサンケイか!」といって みんなよく分かっているね。そこへいくと、坂本龍一さんは音楽家だからでもないでしょうが はっきりばっちりね。 福島の後に黙っているということは人間として恥ずべき事 それを最後にイングリッシュで宣言していました すぐに理解できないところがまだまだ 恥ずべきことー黙っていることはー福島の事故が起きた後に 


呼びかけ人ではないのに 瀬戸内さんが京都から出てこられました。何と90歳 ちょっとびっくり 「私より上の方はおられますか。」 さすがに手はあがりませんでしたね。 呼びかけ人にもっと若い人がいないところが日本の現状を表している気がいたしました。大坂の選挙の時橋本の集会には若い人がたくさんで 当時の市長の集会には中高年だったそうですよ 目先に飛びつくしかない日本の若者 悲しいかなだね 郵政民営化のことを思い起こしてみたらよく分かると思うんだが 皆さんすぐ忘れるのよね 90から見れば60 70 なんてひよこでしかないか  中部電力の課長は 放射能で死んだ人は誰もいない 大見得をきったんだからすごいよねえ 自分の子どもや家族を福島に引越しをさせたらよかろうに 西日本で原発事故が起きたら 沖縄か北海道に引っ越しますか 日本産の食料品は世界から見放されるんだよね それを日本人だけで食べる?

2012年7月18日水曜日

脱原発10万人


7月16日 代々木公園で行われた「脱原発10万人集会」に出かけてきました。今日も暑さ満開ですが、この日も暑さいっぱいでした。 渋谷駅を降りたところから もう集会の向かう人の列ができたいまして、後をついていけばいい。でも歩いていくの は自分の足ですからね。 サッカー場は人手埋まっていて前のほうには入れません 下にブルーシートが敷き詰めてありましてそのうえにこしをおろしていました。私たちはその一番端に座り込みましたが、このシート張るの大変ですよ。


この会場に座り込んだ時にはちょうど 永禄輔氏が話をし終わったところでしたね。まあ日本は平和ボケといいますか、安全ボケ 学生はこの情勢でも自分の就活しかない オリンピック派遣選手は税金で何千万の支援費が出ているのも気にせずに 「楽しんできます。」だものね メダルとまるで無関係ならいく必要なし。派遣団体の予算活動なんだよね とにかく ひとりぶつぶつ言っていても意味が無いので せめて集会ぐらいには参加しないといけないでしょう。若い人もいないことはありませんが 中高年が多いよねえ これを選挙で意思表示していかないといけません まあこの中の半数は あの橋本のようなタイプに引きづられそうなのが懸念ですがね。 


小室等 バンド  野外音楽堂には 制服向上委員会も参加していて そっちには若い男が集まっていた?

2012年7月13日金曜日

ローマ(15) 現代宗教美術館


システィーナ礼拝堂の行く途中に 現代宗教画が並べられています。 ルオーなどの混じって日本の作家の作品もありました。平山郁夫氏が薬師寺にシルクロードの画を寄贈したのとおなじことですね。


ルオーの絵は山梨の清春美術館 東京の出光美術館などで何度も見ましたが 少々暗いのがいまひとつでしたが 日本橋のブリジストン美術館で見たルオーの作品は明るさが感じられて描こうとしている心の持ちようがワンパターンではないことに気がつきました。苦しみを乗り越える力というものをどう表現するかということでしょうか。


これは、カンデンスキー?

そして、いよいよ システィーナ礼拝堂 狭い階段を登りきった右側にドアがあります。中は人人ひと。 天井壁に ミケランジェロのフレスコ画がすごい迫力で迫ってきます。思わずカメラを構えると 警備の担当者が ノーフォト! おまけに 「静かに!」 冷静に考えればよくわかりますよ。たとえばお寺の本堂の中で カメラを取り出してバシャバシャ おまけにフラッシュ みんなでわいわいおしゃべり そんなことしていたら なにやっているの! って思われますよ。 担当者からすればここは 観光名所じゃあなくて、礼拝堂 今もつかっている ところが今までは写真 OK おしゃべりOK できたものですからね 礼拝堂の階段のしたで 一時ストップさせて 説明しないと おのぼりさんたちは分かりません。 京都の多くの神社仏閣は拝観料とっています。あれは観光だよね 当然税金かからないといけないのに お布施の代わりなんだ これって うそも方便 でしょ。99%は観光見物に来ているだけで 拝観じゃあないよねえ。でも檀家もお墓も無いので 拝観料の収入は貴重です。 これだから日本の宗教は堕落してしまった。がんばったのは中国を断った 善光寺 唐招提寺なんか へこへこしてね おそまつです。 
とにかく 最後の審判 を後に 次は絵画館 ピナコテーカへ

2012年7月12日木曜日

ローマ(14)ラファエロの間


ソビエスキ王の間から外につけられた通路を進んで第1室に入ります。混んでいなければ1室~4室を行き来できます。どこがどこなのか分からない状態ですからそんな余裕はありません。『アテネの学堂』を見つけられずに通り過ぎて 係りの人に尋ねたら 前の部屋と教えられて ごめんなさい。 これは『ミルヴィオ橋の戦い』

「ミルヴィオ橋の戦い」。
コンスタンティヌスはローマ近郊のミルヴィオ橋での戦いで、突如、天に浮かぶ十字架と「これによって征服せよ」という文字を見て、十字架の旗印のもとに宿敵マクセンティウスを破った、と言われています。

この勝利により、コンスタンティヌス自身がキリスト教に改宗、313年には「ミラノ勅令」でキリスト教徒に特権を認めました。
ローマ帝国による長いキリスト教迫害の歴史はここに終わり、キリスト教徒たちはこの後、帝国内で組織力を強めていくことになりました。



コンスタンティヌス帝の洗礼


第3室 ラファエロの手による『署名の間』 ご存知「聖体の論議」



第4室『火災の間』  「オスティアの戦い」


天井画



通り過ぎてしまったので第3室に戻って 有名な教科書ページ 『アテネの学堂』

1509年の終わりに、ラファエロは「聖体の論議」の向かい側の壁に次の絵を描き始めた。これは「アテナイの学堂」と名付けられ、この部屋の隣のユリウス2世の書庫が、学問の部屋としての位置づけを持っていたことから、哲学的な理性によって真実を探ることが主題となっている



中央にいるのは、プラトンとアリストテレスで、左のプラトンは、レオナルド・ダ・ヴィンチがモデルだそう。
右側にいる黒いベレー帽の男は、ラファエロの自画像。 彼の視線の先、左側には恋人ラ・フォルナリーナが描かれています。














2012年7月7日土曜日

ローマ(13) 地図のギャラリー 2-1


地図のギャラリー 連続


東の海から太陽が 世界を照らしておりまするでござーる 日出国はどこも同じ心持かと


天井もまた、手抜きなく すばらしく手の込んだ装飾がされております


ここの海も領海だったということですね どんな船をつかっていたのかが分かって興味深いのです。



島が教区っていうことでしょうか


現在のイタリア全土とよく似ています。 最初は 地図のギャラリー 何それ? 地図を見たってねー という感じでございましたが どうしてどうして なかなかのものでございました。 宝島の地図 ロードオブザリング もこんな地図から始まりましたかね いやいや キリスト教ですから ナルニア国 この地図が 古いクローゼットの奥にかかっていた ということかな あれはイタリアではなくてアイルランドでしたね まあいいじゃないですか



これが出口の上にあるレリーフ  次はラファエロの間に入ります。

2012年7月5日木曜日

ローマ(13) 地図のギャラリー 2


これは入り口見返りの レリーフ 教皇の紋章なんでしょうか 素敵に作ってありますね 権威の象徴

2012年7月3日火曜日

ローマ(12) 地図のギャラリー


次はどこに回ればいいのか それが問題 ところどころに この矢印の案内表示 まあ順路って言うことかな それで 階段を上って 大燭台のギャラリーへ



それからタペストリーのギャラリー ここは宗教画を絨毯におりこんであるところ 「キリストの一生
」 まあ作り上げるにはそれこそ目が飛び出るような手間と費用がかかったであろう事は容易にわかりますが そこはパスして 地図のギャラリーへ


天井画はどのお部屋も それは素晴しい これはフレスコ画でありましょうから、一気に描いてしまわないと卵でとかした画材が乾いてしまってだめになってしまうそうですよ。私なら終わりのほうはあせって、手抜きをしてしまいそうですが もちろんそんなことはありません。


このアングルはガイドブックによく載っているものと同じです。部屋に入った時にその豪華さに圧倒されてしまうからでしょう。思わずカメラを取り出してしまうのですね。


左右に地図がこれでもかー と言った様子で並んでおります。イタリアの勢力範囲 教会の所有地 色々な描きかたになっているのがたのしいところです。
 
16世紀後半 グレゴリウス13世が イニャッツィオ・ダンティ(数学者・宇宙学者・建築家)に描かせた40枚。

2012年7月2日月曜日

ローマ(11) エジプト



いまひとつ内部の展示の配列が分かりませんが とにかく次はエジプトの間 新しくできたような特別展示のような 様子でしたが これはエジプトの工芸技術の素晴しさで 宗教画より身近に感じられます。


ミイラの棺 装飾が素晴しい !! こういったもののイマジネーションが現代のファッションにつかわれているんですよね 棺が鑑賞作品になることがすごいでしょ


古代エジプトは美男美女がたくさんいたっていうことですかね


ボートをこぐ人たち  部屋の飾り物にぴったし 鑑定団に出したらすごい値段がつきますね でも手元に入るのは お土産用のレプリカ それじゃあね こういう道具をつかって ・・をしていた。考古学的には鑑定団は無関係で 紀元前の人の生活を調べることに価値があるので御ザール


彩色された棺は いくつかあります。どれも細部までおみごとです。 


棺に中まで このように 手抜き無し まあわかってしまうものね 絵本の世界のようです。こっちが本家で絵本はこれを見て 作っているわけですがね。