2012年7月12日木曜日
ローマ(14)ラファエロの間
ソビエスキ王の間から外につけられた通路を進んで第1室に入ります。混んでいなければ1室~4室を行き来できます。どこがどこなのか分からない状態ですからそんな余裕はありません。『アテネの学堂』を見つけられずに通り過ぎて 係りの人に尋ねたら 前の部屋と教えられて ごめんなさい。 これは『ミルヴィオ橋の戦い』
「ミルヴィオ橋の戦い」。
コンスタンティヌスはローマ近郊のミルヴィオ橋での戦いで、突如、天に浮かぶ十字架と「これによって征服せよ」という文字を見て、十字架の旗印のもとに宿敵マクセンティウスを破った、と言われています。
この勝利により、コンスタンティヌス自身がキリスト教に改宗、313年には「ミラノ勅令」でキリスト教徒に特権を認めました。
ローマ帝国による長いキリスト教迫害の歴史はここに終わり、キリスト教徒たちはこの後、帝国内で組織力を強めていくことになりました。
コンスタンティヌス帝の洗礼
第3室 ラファエロの手による『署名の間』 ご存知「聖体の論議」
第4室『火災の間』 「オスティアの戦い」
天井画
通り過ぎてしまったので第3室に戻って 有名な教科書ページ 『アテネの学堂』
1509年の終わりに、ラファエロは「聖体の論議」の向かい側の壁に次の絵を描き始めた。これは「アテナイの学堂」と名付けられ、この部屋の隣のユリウス2世の書庫が、学問の部屋としての位置づけを持っていたことから、哲学的な理性によって真実を探ることが主題となっている
中央にいるのは、プラトンとアリストテレスで、左のプラトンは、レオナルド・ダ・ヴィンチがモデルだそう。
右側にいる黒いベレー帽の男は、ラファエロの自画像。 彼の視線の先、左側には恋人ラ・フォルナリーナが描かれています。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿