2012年5月30日水曜日

金環日食 2



ちょうど金環日食のリングが見えてからまた雲が動き始めました。まあ単なる偶然なんでしょうがね。全員登校の学校は面目もたって 一安心 よかったですよねー 皆既日食のときは散々なけっかでしたからね。





まだまだ 美しい 天体の不思議 昔の人たちは 驚くよね これを予想できていれば 預言者と解放者の両方の絶大な力をもつことができたはず。 でも、そんな長命な人はいなかったでしょうに。伝承がつたわっていればね。これにまつわる御伽草子やらはみあたりませんでごじゃる。




月と太陽の といいますか 地球と太陽と月の位置がずれてきました。





これだけ見ると 三日月のようにも見えなくもない




これはもう下弦の月 きれいに撮れました かな? 東の空だし ぴったり





いよいよ 終わりに近づきました






これで、太陽は雲の向こうに隠れてしまいました。というより雲が太陽を隠してしまったわけであります。 さて、どんなことが残りましたか? 太陽と月と地球はどんな動き方をしていたのでしょうか? この天体指輪イベントを体験すると 地球が動いている 太陽の周りを そういうことが何かわかりますか?














2012年5月29日火曜日

金環日食



2012.5.21 朝7時前には西の空は青空が見えていましたからこれはいいかも と期待し始めたら 雨が降りだして ぎゃお― 7時20分ぐらいからじっと待つこと10分 雲の切れ間から太陽が顔をのぞかせ始めましたね これで、理科離れを減らそう なんて全くナンセンス。 だってただみせるだけだもの。マスコミも全くお粗末ね。めずらしい ただそれだけでしょ。この金環日食現象と理科の学習 まあ 日本人の科学的リテラシーを高めるにはどうすべきか そういう視点がゼロ。なんでか?マスコミの見せ掛けに跳び付くレベルではね 科学的なものの見方には到底到達しきれないということです。 そのレベルなのに 原発推進はとんでもない おいおいもっと科学的に考察していかないと 管前首相は ひどくまともな対応のはずなのに 注文つけることしか頭にない、今までの政治家の中で 自分から責任の所在を明確にしたのは 彼一人ですよ。そういうことをきちんと判断できない 観念的にしか物事をとらえられてないね ワイドショーしかやってないからです。 原発事故の対応がばらばら おいおい お前がやっていたらもっときちんとできたとでもいうのかね マスコミの報道を聞いて またまた無責任国民は政治家の責任に押しかぶせようってさ これってね 戦争のときと同じ さも自分たちは被害者だって そんなことないでしょ 東京大空襲の被害者は 戦争反対をあの当時叫んで行動していたのかね そんなことないでしょ 勝てばいいことありそう そうやって一緒に戦争やっていたのさ それを今さら 保障しろって チャンチャラおかしいよ 原発だって同じ いままで恩恵受けてきたのに さも推進派の連中が悪者みたいにしてね 国民全員同じはず 一番は自民党でしょ よくも白々しい顔してやってるよね もっとひどいのは石原 自分の家の隣に原発造れって 東京の真ん中に原発造れよ こういう考え方が科学的リテラシー っていいます。
それで金環日食で 何を考えるのかなんですよ。 きれいだな それって 幼稚園児レベル。科学は 『なぜ』を 自分で見つけていくことからスタートします。 この金環日食を見て どんな 『なぜ』を見つけられるか そこが問題なんですね。 そうすると 答えは? って聞かれるわけです。 もうそこでアウト 答えがあるのは 学校のテストの中だけなんですね。 自分で見つけるものなんですよ。それで、自分のレベルが分かってしまう。まあそういうことで。




急に太陽が緑色に変化し始めました まさか! インベーダーの襲来かかかっかあっか




方角は東を向いていますから 右側が南 これが大切でござりますよ。





登校時刻を早めて希望者だけでも学校に集まって観察会を開いたところ、結局何もしなかったところ、まあそれぞれでいいのでしょうが 指導者の力が垣間見えたっていうところですかね。それなのに ・・とかの学力テストとやらは 必死になってやるやると、手を上げる。 まったくね自分で自己評価の方法も見つけ出せない そのくせ外国と比べて差が出ると大騒ぎ。逆に外国から評価されると今まで知らん顔していたはずなのに 表舞台に持ち上げる 全くね 物まね文化からぬけだせないんだなあ。  





東京都大田区 7:42 薄暗くなりましたね あちこちから 子ども達の歓声が聞こえてきました。何だかうれしいんですよね。 もう若い時代には見ることはないでしょう 日本ではね ですからこの機会に何を考えるか それって大切だと思うんですが そんな話にはなりません。しょうがっこうの教育問題には誰でも したり顔で顔も口も出しますが 大阪の何とか言う自分ひとりが偉いと勘違いしているやからも ところが肝心の教育の本質には口も出せないでいるじゃないですか?マスコミがそのさいたるところ、連続写真を載せて自己満足だものね 教育は足し算引き算やってるわけじゃないのよ まして君が代日の丸 国の旗どうのこうの それって教育の中身じゃないだろ それを 選挙の宣伝に利用しようってさ 石原と同じ やっぱ大阪はね遅れてる だから大阪ってなちゃうねえ それをマスコミが一生懸命応援してるっていう構図 そんなことやっているうちに 新聞もアメリカのように売れなくなって廃刊に向かうのね 37mの津波で日本沈没よ 大坂と構想 おいおい 刺青じゃなくて 経済政策じゃなかったのかね 腹が立ってきたのできょうはここまで











2012年5月28日月曜日

青森



弘前から青森市内に戻りました。 ホテルはJALのホテル。そこからこの『すずめ』というお寿司屋さんで夕食。 1日目の夕食をどうするかを決めるのが結構大変でしたが ここで大正解でした。最初はカニを食べたい ということでしたがこの時期カニはねー カニは北海道なんですよ。まあよくわかっていないと困ってしまいますが、ここは大間のマグロが売りのお寿司屋さん ということで決めました。 おすし屋さんらしくないお店の名前でしょ。




ここからは、いただいたもののご紹介です。食事をしながら出されているものの写真を撮る っていうのは皆さんよくやっているんですが、本来はいいマナーじゃあありませんよね。造っている人に礼を欠くような気がするんですよ。写真とる前に目でよく見て舌で味わってもらいてえ。 そんな声が聞こえてくるようで。でも、食べ物は言葉だけではわかりませんから、そこのところが、微妙。これはウニ まあ見ればわかりますがね。中を取って食べられるところだけ残してあります。それにこのウニまだ生きているのよ。紫のとげとげが動いています。スプーンのようなもので張り付いているところを取って食べますが まあこんなウニは今まで食べたことありません。シャーベットのように身は(ウニは身じゃなくて卵ー精巣・卵巣)しっかりしているのに口に入るととろけてしまう。ウニのあの苦味っぽい味がするけど甘くて、くせのない大人の味です。これ食べると普通のウニは食べられませんね、比べてしまうから。 キタムラサキウニ


次は 写真の通り 生牡蠣 この牡蠣なるもの 以前は岩牡蠣をいただいてその美味しさを堪能したりしていましたが 何年か前に 家族全員あたったことがありまして、それから牡蠣は生はもちろんフライでも避けていましたから、一瞬どうしようか?躊躇しましたが、試しに口に入れてみますと、それが今まで食べてきた生牡蠣とは別物。 柔らかいお肉をさくさくっと食べてしまった。牡蠣特有のあののっぺりまったり感とはまるで違います。臭みもいやみも苦味もまったくありません。食わず嫌いの兄が何も言わずに食べてしまいましたから、驚きです。



そして,お造り 甘エビ・ノドグロ・タコ・まぐろ・赤貝
ムーーーー 最初 イカかと思ったんですよね 白くて丸い さいの目に包丁が入っています。かむほどに味が出て 「これは何イカですか?」と尋ねると 「それ、たこです。」 はーなーるほどね。てなわけでした。ノドグロはここでしか食べたことがないので なんとも。 マグロの赤身 これが甘い マグロの赤身で甘い刺身なんてありますか? えびはね頭の中の味噌まで食べたくなるくらい甘くて新鮮 もちろん中までチューして食べてしまいました。でも全く苦味もありません、そこがすごいよね。 この後 縞えび っていうのも知りました。それは握ってもらって出てきました。

津軽海峡コース 5150 大間のマグロはこのコースから、というので上のコースは食べきれないという口コミだったので、値段で決めたわけではありませんが・・。でもこのコースで十分満足できます。後は単品で握ってもらえばいいのです。

2012年5月26日土曜日

弘前 3



北の郭を抜けて北門にむかう道も桜のトンネルここは露店が並んでいますが その中に『渋谷コロッケ』 ここは青森、弘前でありんす 東京渋谷? 渋谷さんのコロッケですよね 覗いてみましたが、見かけは特に 渋谷の形をしているようには見えませんでしたが、食べると中からハチ公の形が出てくるのかもね



北門の外に出ると 外堀の回りもこの通り うちも外も サクラ・桜・さくら ここから ねぷた村へ




弘前は ねぷた  青森は ねぶた  次の日に 青森の『ねぶたの里』から三内丸山に乗ったタクシーの運転手の方からの レクチャーによると 「昔から ねぶた・ねぷた 両方があって なまりも入ってどちらでもよかった。 あるとき青森新聞(東奥日報?)が青森のねぶたの祭りの特集記事を組んでそこで『ねぶた』 と表記したのが 青森ねぶた の始まり これが全国に広まった。 ところがこの祭りの始まりは 弘前のほうが古い それで弘前は心中穏やかじゃなくなって もともとはこっちが始まりだったのに 本家は弘前じゃろうがに ってなわけで 弘前新聞(陸奥新報)が 弘前ねぷた ということにぶと ぷ の違いになった というような解説でござる。 


まあ、私としてはどっちでもいいような気もしますが、地元は治まりませんよね。


語源は、「眠り流し」→「ねむた流し」→「ねむた」→「ねぷた(ねぶた)」と転訛。(表記は佞武多、禰ふたと様々ある) 「眠り流し」は日本各地で行われている。農作業の激しい夏期に襲ってくる睡魔を追い払い、厄災・邪悪を水に流して村の外に送り出す行事のひとつ。
秀吉が全国の大名を集めた席で 各地の自慢の出し物を披露した。その時に津軽はこのねぶた流しを見せるために大掛かりなものを造って見せた。それまでも全国各地に同じようなものはあったが、それ以降 ねぶたは津軽のものということになり、形も大掛かりなものになっていった、というお話でした



弘前のねぷたはおおむね、扇形に昔絵(中国の物語り絵)が描かれて中に灯明(電気照明)が入っています。大きさもほどほどです。青森のほうはもっと大掛かり。それは弘前は今でもねぷたは 各町内で造られているからだそうです。その年の祭りが終わると次の年には 新しく張り替えます。元の骨組みはそのまま残しておくというわけです。



ちょうど津軽三味線の弾き語りが始まるところで、少ない見学時間だったのに、ラッキーチャンスでした。 女性のほうがお上手です。全国大会優勝?とか




2012年5月17日木曜日

弘前 2


本丸  江戸時代には弘前藩津軽氏47,000石 当初の天守閣は落雷のため焼失したため 江戸時代に櫓を改築して天守閣に造りなおした。江戸時代に新しく天守閣を造営できたものとして珍しい。重要文化財に指定されている。本丸唯一の現存建築である天守は寛永4年(1627年)に焼失した5重天守の代用として文化7年(1810年)から本丸辰巳櫓を改修し文化8年(1811年)に完成した層塔型3重3階の建物である。高さは約14.4メートルで現存する3重天守の中で最も低い。往時は幕府への配慮から天守とは見なさず、櫓(御三階櫓)として扱われていたが、「事実上の天守」としての役割を持ち現在は書籍等の多くで天守として扱われている三層になっており 最上階からの桜の眺めはまた格別。ではありますがまあ、ちょっと狭いんです。いたしかたなし。混んでいてなかなか入れません。4時過ぎごろになると空いていました。



本丸の桜 1



本丸の桜 2



本丸の桜 3



本丸の桜 4



西の外堀のはるか遠くに、行くを残した岩木山 絵になりますねえ 本丸は高台にあるため下の堀は城壁と共に天然の要塞になっていたのでしょう。当初の天守閣からはこの光景がよりダイナミックに見えたはず。この地域は幕府方についたため辛苦をなめましたね。本当に新政府側が正しかったのかどうか、それは?じゃあないでしょうか。ただ近代の世界の流れにはついていけなかった。反対に日本でしか作り出せない文化があったはず。それの評価がおそまつでありました。








2012年5月10日木曜日

弘前のさくら


5月1日 新幹線で青森へ 東京発8:58分 新青森着12:33 3時間半で青森に着いてしまう。すごいですよねー。40年前学生の貧乏旅行 上野の夜行列車 青森の青函連絡船乗車時刻は翌日の夕方でしたから。 新青森の構内放送「乗り換えのお知らせをいたします。津軽海峡線・・・」 えー津軽海峡線 すごい響き ココまで来たんだなあ そういう実感がわいてきました。ここから奥羽本線で 弘前まで 列車の窓からは春の雪解けの様子がまじかに見えて いま春の始まりまっさかり。雪解けににごった水を川幅いっぱいに溜め込んでながれる川。川べりには雪の塊がまだまだたくさん残っています。 弘前近くなると反対側の座席が何か騒がしくなっています。どうしたのかと振り向けば 岩木山が残雪を乗せて威圧的な山容を見せつけていました。コニーデ型火山のなだらかな山すそがなんともいえず美しい。反対側はかの有名な八甲田連峰です。


弘前の駅前のホテルで ランチバイキング 弘前着は13:30 というので予約を取ってほしいというので予約を入れておきましたが、14:00にはラストオーダーでよろしいでしょうか、といって片付け始めるんだよね それはないでしょ。それなら予約を取ってほしい それはやめるべきでしょ。50品目ランチバイキング 1700円 歌い文句ほどではありませんでした。パンはおいしかった。和食も津軽いなりとかハチクの田楽とかありましたが 味がない サラダとイタリアン風のグラタンやパスタはまあまあ 本当は弘前のフレンチの予定でしたが この連休はもう予約でいっぱい。それにつく時刻がね 遅いです。 とにかくお天気最高なのでタクシーで弘前城公園へ 循環バスが駅前からたくさん出ています。時間に余裕があればそれで十分ですが もう14時30を過ぎていましたから 急げ急げ  



追手門を入ると桜が道を埋めています。 左手に城内案内のボランティアのテントがあります。様子がよく分かりませんので 案内をお願いしました。 予定の時間にあわせてガイドをしてくださるということでした。このガイドの方が上手に案内してくださったおかげで 無駄なくまた十分に弘前の桜を鑑賞することができました。ありがとうございます。感謝、感謝です。



内堀にぶつかったところにある 薬用植物園 今回は時間の関係で中には入りませんでした。




桜の向こうは物見櫓でしょう 堀に沿って先に進みます 本丸に向かうってね。



まあ、こんなもんじゃありませんよ



杉の大橋、橋の上から まあ当たり前ですよね みれば分かる 中掘りと桜



南大門 二の丸に入りました



黒の額縁から城内二の丸の桜をみる



本丸天守閣が見えてきました。


これは弘前の名木100選! 樹齢100年を超えるソメイヨシノ ソメイヨシノは通常の寿命が50から60年で枯れ始めますから ここの桜は長寿桜 とううことで桜の枝と花をすりすりさせてもらいました。ガイドさん公認ですからね。


 1882年植樹と書いてありますから 約130年 まだまだ元気に満開の桜を咲かせています。100年を超えて元気なソメイヨシノが多いわけは 弘前の気候が関係していると思われますね。冬の寒さで腐食菌の繁殖が抑えられている他雨ではないかと考えられます。