2012年5月17日木曜日

弘前 2


本丸  江戸時代には弘前藩津軽氏47,000石 当初の天守閣は落雷のため焼失したため 江戸時代に櫓を改築して天守閣に造りなおした。江戸時代に新しく天守閣を造営できたものとして珍しい。重要文化財に指定されている。本丸唯一の現存建築である天守は寛永4年(1627年)に焼失した5重天守の代用として文化7年(1810年)から本丸辰巳櫓を改修し文化8年(1811年)に完成した層塔型3重3階の建物である。高さは約14.4メートルで現存する3重天守の中で最も低い。往時は幕府への配慮から天守とは見なさず、櫓(御三階櫓)として扱われていたが、「事実上の天守」としての役割を持ち現在は書籍等の多くで天守として扱われている三層になっており 最上階からの桜の眺めはまた格別。ではありますがまあ、ちょっと狭いんです。いたしかたなし。混んでいてなかなか入れません。4時過ぎごろになると空いていました。



本丸の桜 1



本丸の桜 2



本丸の桜 3



本丸の桜 4



西の外堀のはるか遠くに、行くを残した岩木山 絵になりますねえ 本丸は高台にあるため下の堀は城壁と共に天然の要塞になっていたのでしょう。当初の天守閣からはこの光景がよりダイナミックに見えたはず。この地域は幕府方についたため辛苦をなめましたね。本当に新政府側が正しかったのかどうか、それは?じゃあないでしょうか。ただ近代の世界の流れにはついていけなかった。反対に日本でしか作り出せない文化があったはず。それの評価がおそまつでありました。








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