2012年5月26日土曜日

弘前 3



北の郭を抜けて北門にむかう道も桜のトンネルここは露店が並んでいますが その中に『渋谷コロッケ』 ここは青森、弘前でありんす 東京渋谷? 渋谷さんのコロッケですよね 覗いてみましたが、見かけは特に 渋谷の形をしているようには見えませんでしたが、食べると中からハチ公の形が出てくるのかもね



北門の外に出ると 外堀の回りもこの通り うちも外も サクラ・桜・さくら ここから ねぷた村へ




弘前は ねぷた  青森は ねぶた  次の日に 青森の『ねぶたの里』から三内丸山に乗ったタクシーの運転手の方からの レクチャーによると 「昔から ねぶた・ねぷた 両方があって なまりも入ってどちらでもよかった。 あるとき青森新聞(東奥日報?)が青森のねぶたの祭りの特集記事を組んでそこで『ねぶた』 と表記したのが 青森ねぶた の始まり これが全国に広まった。 ところがこの祭りの始まりは 弘前のほうが古い それで弘前は心中穏やかじゃなくなって もともとはこっちが始まりだったのに 本家は弘前じゃろうがに ってなわけで 弘前新聞(陸奥新報)が 弘前ねぷた ということにぶと ぷ の違いになった というような解説でござる。 


まあ、私としてはどっちでもいいような気もしますが、地元は治まりませんよね。


語源は、「眠り流し」→「ねむた流し」→「ねむた」→「ねぷた(ねぶた)」と転訛。(表記は佞武多、禰ふたと様々ある) 「眠り流し」は日本各地で行われている。農作業の激しい夏期に襲ってくる睡魔を追い払い、厄災・邪悪を水に流して村の外に送り出す行事のひとつ。
秀吉が全国の大名を集めた席で 各地の自慢の出し物を披露した。その時に津軽はこのねぶた流しを見せるために大掛かりなものを造って見せた。それまでも全国各地に同じようなものはあったが、それ以降 ねぶたは津軽のものということになり、形も大掛かりなものになっていった、というお話でした



弘前のねぷたはおおむね、扇形に昔絵(中国の物語り絵)が描かれて中に灯明(電気照明)が入っています。大きさもほどほどです。青森のほうはもっと大掛かり。それは弘前は今でもねぷたは 各町内で造られているからだそうです。その年の祭りが終わると次の年には 新しく張り替えます。元の骨組みはそのまま残しておくというわけです。



ちょうど津軽三味線の弾き語りが始まるところで、少ない見学時間だったのに、ラッキーチャンスでした。 女性のほうがお上手です。全国大会優勝?とか




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