2012年6月24日日曜日

一関


強い低位気圧の通過で雨がひどくなってきたので 一関までもどりました。お昼は平泉でお餅御膳の予定でしたが、とても中尊寺まではもどれないので 一関の駅前で探しましたが これがまた開いているお店が少なくて まあそうですよね。観光案内所で見つけてもらって 駅前の一関サンルートの喫茶室がレストランを兼ねているのでそこで昼食。新幹線は15時過ぎ 列車の変更が聞かないことが分かって 3時間 雨は降っているしね そこで一関の街散歩 案内地図がありました。
 
日本キリスト教団 一関教会 なかなかおしゃれでありますね。


旧 沼田家武家住宅 門を入ると屋敷の入り口 道側には通常座敷がある間取りになっていることが多いのですが この地区の武家屋敷は広い土間とかまどがあって、農家のような感じ 座敷は奥にあります。守るためにはこの方がいい。座敷には柱が中央に入っていて天井も低く刀が自由に振り回せないようになっております。

 
旧沼田家住宅概要: 沼田家は一関藩家老を勤めた家柄です。城主である田村家の陣屋に程近く、外堀内部に配置されている事から「内家中」と呼ばれ、一般の足軽や商人達と区別されていました。外掘にあたる磐井川は度々叛乱し、特に昭和21・22年に襲ったカザリン・アイオン台風は城下町の風情が残る町並みを一掃し、一関が近代的な町になるある意味で起点となりました。その中で、旧沼田家住宅は幕末に建てられた当時の原型を留めていて、当時の一関藩上級武士の生活を知る上で貴重な存在となっています。一関藩は三万石と言われていますが実石では二万三千石程度だったと言われ、財政面では常に逼迫した状態にあり、家老職を務めた住宅であっても破風付な玄関など華美な装飾がなく極めて質素な形態を取っています。又、間取り的には同じ岩手県で伊達領の要害が置かれた金ケ崎の武家屋敷で見られるような座敷が道路側でなく奥に配置されているのが特徴的です。道路側に座敷を配置するといのは、藩主(城主)が道路を通った時逸早く出る事が出来る事や、外部の侵入者に対して有利とも言われていますが、逆に土間や玄関が手前にある事は利便性に長け実用的だったとも考えられます。一関藩では学力に力を入れ、多くの学者を輩出していますので、より合理的に考える藩風があったのかも知れません。



次は 一関の銘酒「世嬉の一」の蔵元 を歴史資料館や喫茶室 直売所 にしてあるところ 大きな酒樽や醸造につかった道具などが展示されています。入り口の別室には一関にゆかりの文学者の紹介もあってここは興味のある人にはちょっと意外な発見もありますね。
島崎藤村 井上ひさし 及川和男 三好京三 色川武大 など 東北は小学校の作文指導「北方綴り方」運動でも有名 文学では 宮沢賢治でもあるし 今はなんと 原発になっていますがね。

このすぐそばに カウントベーシーも訪れたジャズ喫茶の名店「ベイシー」もあります。 時間待ちの雨模様でそういう気分になれなかったのが おそまつでした。雨は小ぶりになってきました。



この中に入れるようになっておりまする。


 



■ニックネーム 蔵ぶー(世嬉の一酒造株式会社) ■年齢 大正7年に誕生し、90歳を超えました。 ■住んでるところ 岩手県一関市田村町5-42 ■好きなたべもの 清酒 世嬉の一、いわて蔵ビール、お餅料理 岩手県にある小さな楽しい作り酒屋です。大正7年に閑院の宮様がおこしになった際に、「世の人々が嬉しくなる一番の酒を作りなさい」ということで、世嬉の一(せきのいち)というお名前をいただきました。今では、蔵元レストラン(郷土料理レストラン)やいわて蔵ビールの醸造も手がけ、小さいながらきらりと光る酒蔵になっております。ぜひ一度遊びに来てください!
東北旅行はこれにて めでたく 終了です。 (やっと終わった。よかったー これで ローマにもどります)

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